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「花の里キャンプ場」 長野県諏訪郡富士見町境

長野県諏訪郡と山梨県北杜市に隣接する「花の里キャンプ場」に行って参りました。

冬季はスキー場になる場所で、景色が非常に綺麗でした。

日曜日についたこともあり、展望台への自動カートが激こみで、一人用リフトで展望台に上りました。

天気も良く、暑すぎず寒すぎず、ちょうど良い気候に恵まれ良いキャンプをすることが出来ました。

夜は冷え込み、寒かったですが。

翌日は雨が降り、風も強くて片付けが大変でしたが。


帰りは同じ敷地内にある日帰り温泉に入ってから帰ってきました。

道も混んでおらず、2時間半くらいで帰宅できました。

やはりキャンプは高原が良いですね。

ちなみに写真は八ヶ岳を撮影したものですが、その向こうに前回行った伊那市があります。

長野は本当に良いところです。


余談ではありますが、

山梨県長野県はかの武田信玄が治めた国として有名です。

武田信玄は戦争にも強く、国をよく治めていたと言われています。

が、財政状況はかなり逼迫していたことをご存じでしょうか。


信玄が納めていた甲斐地方は、もともと豊穣な土地ではない上に、たびたび天災に見舞われていました。実入りの少ない甲斐で戦費を賄う必要があり、必然的に税を重くしなけば領国の経営が立ちいかなかったわけです。

信玄で有名な税金は「棟別銭」です。

「家屋」や「家族」にかける税金のことであり、家一軒あたりいくら、一家族いくらという形で課税するものでした。

当時の税制は、本来は「農地」が基本となっており、年貢として田や畑に対していくらというふうに定められていました。

家屋にも課税されていましたが、それはあくまで補完的な税です。

しかし、武田領の場合は、本来、補完的な税である「棟別銭」を財政の柱に置いていました。

「農地」を基本にした場合、天候などで農作物の出来が悪ければ、税の基準を引き下げなくてはならず、農作物の出来によって税収が左右されます。

しかし、前述のように土地がやせている甲斐地方では、そのような税では、税収が確保できませんでした。

そのため武田領は、農作物の出来に関係なく、毎年一定の税収を確保できる「楝別役」を税の柱に据え、さらには容赦なく取り立てています。

やはり戦争費用を捻出できなかったからです。戦国最強と呼ばれた武田軍団の実態は、農民に対する過酷な税によって維持されていました。

他方、信長の場合は、増税や過酷な取り立ての記載はほとんどないことから、当時の甲斐の国が、非常に土地的に恵まれない国だったことがわかります。

そして、信玄はその財政の中で、相当な無理をして大軍団を作っていました。

当然、武田領の領民たちは信玄や武田家のことを良く思っていません。

その事が後の武田征伐で、呆気なく武田が滅んだ遠因と言われています。


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